
「T エナミ」と称されるが、T の指す意味は不詳。 小川一真の最初の弟子となり、次いで助手となった。 後に横浜へ移り、弁天通に写真スタジオを構えた。 近隣に、既に有名であった玉村康三郎のスタジオもあり、共同で作業を行った事業もある。 書籍や定期刊行物、新聞などにも取り上げられ、何百万枚もの複製が印刷された。 アメリカの出版社からも書籍が発売されていた。菊池東陽は明治36年、渡米を決意し江南写真館に入っている。大正 12 年、関東大震災の際に、火災によってスタジオを焼失したが、後にはスタジオを再建した。 昭和 4 年、死去。 長男の江南保が継承した。
生年/出身: (幕末) 東京(江戸)
開業年:
開業地、主要拠点: 神奈川(横浜弁天通 1-9)
師匠: 小川 一真