早崎 天真(はやさき てんしん)

早崎 天真写真師

中国美術学者。 明治7年、(1874)三重県津市生まれ。本名は早崎稉吉。東美校卒。橋本雅邦に師事。東京に住した。
1956年死去。
早崎家は、代々津藩士をつとめた。
祖父・早崎勝任(1805年生)は、本姓は森田、別名は早崎士信、早崎門太夫、早崎南涯、早崎巌川と号して、はじめ津阪東陽、猪飼敬所らに学び、のち江戸の昌平坂学問所で古賀侗庵に学んでいた文人。帰藩して藩校有造館講官となった。

父は津藩士・早崎勝文。早崎勝文は、早崎鉄道人と号し、藩校の講官であったが36歳で早逝したと伝わる。母は早崎慶。

早崎天真は、明治19年、津藩校の教官であった土井有恪(号・黌牙、1817-1880)の凍水舎で漢学、書画を学ぶ
明治24年、小学校を卒業し、画家を志して上京。
明治24年、橋本雅邦に入門。
明治24年、岡倉天心の書生となり、中根岸の岡倉家で寄宿生活を始める。
明治25年、東京美術学校日本画科に入学。
明治26年、田中猪太郎小川一真らに写真術を学び、日本橋浜田の大西某に中国語を学ぶ。
明治26年、7月から約5ケ月間、岡倉天心は帝国博物館から中国美術調査のため清国出張を命じられ、中国各地を撮影旅行することになり、それに同行する。
明治29年、岡倉天心の異母姪・八杉貞(1869-1915)と結婚。
明治30年、同校日本画科を卒業。
明治30年、帝国博物館の委嘱で、奈良で法隆寺や新薬師寺で古画の模写を行っている。
明治32年、中国美術研究のため、再び中国(北京)に渡る。
明治33年、帰国。
明治33年、兵役に服す。また古社寺保存計画の嘱託なども行った。
明治35年、清国陜西省三原大学堂の教習に招聘され3度目の中国訪問。三原高等学堂陜西武備学堂教習、また東京帝室博物館の嘱託で陜西地方の古美術品調査にも当たった。
明治39年、帰国。
明治39年、美術品の購入などを目的に岡倉天心に同行し、ふたたび四度中国へ渡る。
明治40年、帰国。
岡倉天心没後も、ボストン美術館の美術品購入のためにたびたび訪中している。
昭和31年、東京で死去。

生年/出身: 1874 三重(津市)

開業年:

開業地、主要拠点: 海外(中国)

師匠: 小川 一真 田中 猪太郎

弟子: