吉原 秀齋(よしはら しゅうさい)

明治3年、内科医の仕事の傍ら、肖像写真を撮り始める。「真写堂」という館名が残っている。病院兼写真スタジオが火災に遭い、新発田町西ヶ輪に移転。明治23年、息子の吉原玄琳が外科医の傍ら経営を継いだ。のち 吉原玄琳の息子・吉原長平が継いでいる。

生年/出身: 1804 新潟(新発田藩三条寺町)

開業年: 1870

開業地、主要拠点: 新潟(新発田藩三条寺町)

師匠:

弟子: 吉原 玄琳