丘村 隆桑(おかむら **)

本名は丘村隆介。流刑人に勧められて金沢や長崎に留学。流刑人は桑原君平とされるが確かではない。その後に帰郷。 文久 2 年、壮猶館舎密方御用手伝に就任し、化学実験を行っていた。 明治初期、『養蚕弁論』を著し、石川県へ産業振興の建白書を提出している。 慶応 3 年から明治元年にかけて、14 代藩主・前田慶寧が浅野川河畔の現常磐町から卯辰山帯にかけて、大規模な開発が行われた。その一画、舎密局の横、玉免ケ丘に「写真局」と称した施設が設けられた。写真局は明治 4 年まで存続している。 舎密局の責任者には高峰精一、係員に吉田好二旗文次郎遠藤虎次郎丘村隆桑の名が残っている。

生年/出身: 富山(五箇山平村嶋村)

開業年:

開業地、主要拠点: 石川(加賀)

師匠: 高峰 精一

弟子: