【古写真の調査後売却】公爵令嬢・九条恵子(鶏卵紙、手札名刺サイズ、写真師丸木利陽ほか)

九条恵子肖像写真美人鶏卵紙
九条恵子撮影台紙写真師

◆写真師 丸木利陽松村東洋

◆九条 恵子
(くじょう やすこ、1876年(明治9年)12月 – 1972年(昭和47年)3月)
公爵・九条道実(九条道孝の長男)の妻。大谷光瑩の次女。母は木下俊愿の三女・恒子。跡見女学校(現跡見学園女子大学)卒業。名家の子女が学ぶ学校として著名だった跡見女学校の卒業生のなかでも、とくに才能が秀でており、「跡見三才媛」の一人と呼ばれた。大日本婦人教育会評議員、愛国婦人会本部評議員、婦人法話会幹事として活躍した。 道実との間に一男五女を儲けた。長女・兼子は侯爵佐竹義春(佐竹義生の長男)、次女・豊子は中山輔親(中山孝麿の子)、四女・敏子は賀陽宮恒憲王に嫁いだ。95歳で死去。

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