
◆徳川 昭武
清水徳川家第6代当主、のち水戸藩第11代(最後)の藩主。
第9代水戸藩主・徳川斉昭の十八男(庶子)で、第10代藩主・徳川慶篤、第15代将軍・徳川慶喜の異母弟にあたる。生母は側室・万里小路建房の六女・睦子(ちかこ)。 初名は松平 昭徳。字は子明。号は鑾山。諡号は節公。子は徳川武定など。正仁親王妃華子の曽祖父。嘉永6年(1853年)、江戸駒込の水戸藩中屋敷で誕生する。幼名は余八麿。生後半年から水戸にて養育されるが、幕末の動乱のため、文久3年(1863年)には再度江戸入りする。同年、京都で病に伏した兄・松平昭訓の看護の名目により上洛する。当初は長者町の藩邸に滞在するが、禁門の変の後は東大谷長楽寺、本圀寺に滞在する(これにより滞京中の水戸藩士は「本圀寺勢」と称される)。滞京中の佐幕活動は多忙を極め、禁門の変や天狗党の乱に際しては一軍の将として出陣するなど、幼年ながらも幕末の動乱に参加している。
