【古写真関連資料】俳人・種田山頭火と小林写真館

【古写真関連資料】俳人・種田山頭火

写真師・小林粂七の跡を継いだ小林銀汀は、俳人・種田山頭火と親交があり、小林写真館 (新潟(長岡東坂之上町))撮影の肖像写真が残されている。昭和11年、小林銀汀邸宅に種田山頭火 が宿泊していた際に作った俳句も残されている。小林銀汀自身も長岡中学在学中に長岡へ来た河東碧梧桐に俳句を学んでおり、荻原井泉水(種田山頭火の師)の「層雲」に拠ったこともある。市内の悠久山公園に句碑が残っている。のち井泉水賞受賞。

「図書館はいつも ひっそり と 松の秀」という作品が残っており、これは 「長岡の俳友小林銀汀宅の2階より若葉ふりそそぐ隣接の互尊文庫を眺めてつくる」と説明されている。

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◆種田 山頭火
日本の自由律俳句の俳人。山頭火とだけ呼ばれることが多い。山口県防府市の生まれ。「層雲」の荻原井泉水門下。1925年に熊本市の曹洞宗報恩寺で出家得度して耕畝(こうほ)と改名。本名・種田正一(たねだ しょういち)。自由律俳句の代表として、同じ「層雲」の荻原井泉水門下の同人、尾崎放哉と並び称される。山頭火、放哉ともに酒癖によって身を持ち崩し、師である井泉水や兼崎地橙孫ら支持者の援助によって生計を立てていた。その基因は、11歳の頃の母の投身自殺にある。

なお、「山頭火」とは納音(なっちん)の一つであるが、山頭火の生まれ年の納音は山頭火ではなく「楊柳木」である。「山頭火」は、30種類の納音の中で字面と意味が気に入った物を選んだだけであると『層雲』の中で山頭火自身が書いている。また、「山頭」の定義には「火葬場」も含まれている。このことから、「山頭火=火葬場の火」と解釈できるという説もある。山頭火がこの意味を意識して名前を選んだ可能性について、山頭火の母親の死との関連性が指摘されている。

30歳の頃には、ツルゲーネフにかなり傾倒し、山頭火のペンネームでいくつかの翻訳をこなしている。金子兜太によれば、山頭火の父竹治郎はツルゲーネフの父、セルゲイ・ツルゲーネフに似ており、騎士大佐で美男子で体格がよく、意志薄弱で好色に利が利いた上、結婚も財産目当てであった。竹治郎はセルゲイよりもお人好しではあったが、目の大きい寛容な人物であったという。美男子で女癖が悪く、妾を幾人も囲い、政党との関係に巻き込まれてからは金使いも荒くなった。冷ややかで好色、意志薄弱という特徴を備えていた。

山頭火は晩年の日記に「無駄に無駄を重ねたような一生だった、それに酒をたえず注いで、そこから句が生まれたような一生だった」と記している。その時にはすでに無一文の乞食であったが、乞食に落ちぶれた後、克明な日記をつけ続けている。その放浪日記は1930年(昭和5年)以降が存在し、それ以前の分は自ら焼却している。死後、遺稿日記が公開され、生涯の一部が明らかになった。