渡辺 徳太郎(わたなべ とくたろう)

渡辺 徳太郎山形

菊池新学の弟子として名が残っている。

渡辺家は屋号「吉野家」といい、江戸時代中期まで山形県北真室・鮭川地方の地方武士であったという。文化~文政年間は四日町にあり、天保時代頃に旅篭町に移住し、渡辺吉兵衛が商売(主に金融業)を営んだ。

父・渡辺儀兵衛は、宗家・渡辺吉兵衛(7代目)の長男(天保8年生まれ)で、 山形第八十一国立銀行の設立に尽力した人物。
母は、山形七日町64の医師・松浦玄意の娘「松浦リャウ」(天保11年生まれ)。
三男として生まれる。なお兄(二男)渡辺正三郎は山形商工会議所副会頭。
幼少から学問により身を立てるよう教育されていた。
宗家(渡辺吉兵衛(7代目))に丁稚奉公をしながら、早稲田講義録をもとに独学。
明治20年、上京し慶應大学普通部(第二学年)に編入学。のち卒業し、東京高等商業学校に入学。
明治27年、兄の二代目渡辺儀兵衛が死去したため、その未亡人(ヨネ)と結婚した。
明治30年、東京高等商業学校を卒業。
明治30年、山形県立中学校(英語科)教諭と同時に、山形県師範学校で商業科を担当した。その傍ら、山形商業界の発展に尽くしたという。
明治43年、私立山形図書館館長。
大正7年、山形商業校長。
昭和21年、死去。

生年/出身: 1870 山形(旅篭町)

開業年:

開業地、主要拠点: 山形(旅篭町)

師匠: 菊池 新学

弟子: