

◆歌舞伎役者の屋号
江戸時代のはじめ頃に商人にならって用いるようになった。市川宗家の「成田屋」をその嚆矢とするといわれる。
当初「河原者」と呼ばれて非人扱いだった芝居役者が、町奉行所における裁きで良民と認められたのは宝永5年(1708年)のことだった。その結果、それまでは裏路地や横丁に押しやられていた役者も、胸を張って表通りに住居を構えることができるようになった。しかし当時表通りに居を構えることができるような富をもっていたのは裕福な商家ぐらいのもので、金なら唸るほどあっても身分がなかった役者にとって、良民になったからといってすぐに表通りに割り込むのはさすがに気が引けた。そこで財力に余裕のある役者のなかには実家の生業の江戸店(えどだな、「江戸支店」)を出してみたり、新規に自らの商店を始めたりする者もいた。すると、そもそも副業からの収入が生計の安定には不可欠だった脇役の役者たちも軒なみ右へ倣えで、こぞって小規模な店を出すようになった。商店を持つ者同士がお互いのことを屋号で呼び合うのは今日でも同じである。この慣行がやがて芝居関係者を通じて一般に広まり、今日のようによく知られた役者屋号となった。
