【古写真の調査後売却】静岡・熱海温泉

静岡・熱海温泉明治古写真景色

◆熱海温泉
静岡県熱海市にある温泉である。日本の三大温泉の一つとも言われる。伊豆半島北東端、熱海駅の北東から南東にかけて、相模灘に面する海沿いに旅館やホテルが立ち並ぶ。眺望を求めて山腹に立地する施設もある。昔からの温泉街は山のすそ野にある駅近辺から海岸沿いまで広がる。熱海駅併設のラスカ熱海や駅近くの商店街、起雲閣のような観光施設、海浜の海水浴場や、さらに南側にある錦ヶ浦や熱海城、沖合に浮かぶ初島まで含めた観光地となっている。

熱海駅は伊東線の始発駅で、伊豆観光の東の玄関口的な立地ともなっている。熱海は歴史的にも古い温泉であり、およそ1500年前の仁賢天皇の時代、海中から熱湯が噴き出し、魚が爛れ死ぬのを近郷の者が発見、以来「熱い海」であることから、熱海と名付けられたとされる。また、天平宝字の頃に箱根権現の万巻上人が、この「熱い海」のために不漁に苦しむ漁民たちを救済すべく、祈願により源泉を海中から現在の山里に移したという伝説も残されている。

江戸時代初期の慶長9年(1604年)、徳川家康が7日間湯治で逗留した記録がある(『徳川実紀』)。以来、徳川将軍家御用達の名湯として名を馳せ、徳川家光以降に、熱海の湯を江戸城に献上させる「御汲湯」を行わせた。

明治以降は文人墨客が多く訪れ、また多くの作品がこの地を舞台に描かれた。最も代表的な作品は、尾崎紅葉の『金色夜叉』であり、この作品によって熱海の名は全国的に知られることとなった。国道135号沿いに登場人物である貫一・お宮の像がある。他に永井荷風の『冬の日』や林芙美子の『うず潮』などがある。

昭和30年代は新婚旅行の代表的な行き先で、白いドレスに白のスーツケースを持った、それと分かるアベックで賑わった。高度経済成長期に入ると団体旅行を誘致するようになり、昭和40年代は年間450万人以上が宿泊していた。そのうち男性客目当てのストリップ劇場や風俗店が増え、歓楽街が形成された。これによるイメージの低下や、1964年の東海道新幹線開通を皮切りとした新幹線網の整備で東京から遠方の温泉地にも容易に出かけられるようになったことも重なり、家族連れの客離れが進んだ。バブル崩壊後は団体客が減少。休館する旅館が目立つようになり、町に寂れた印象を与え、更に客離れが進むという悪循環に陥った。当時老舗であった「つるやホテル」(平成13年閉館)などの大型ホテルの廃業がそれに拍車をかけた。

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こうした長期低落傾向が、東日本大震災(2011年)を底に反転し、熱海復活として注目されている。熱海駅と旅館・ホテル街を結ぶ位置にある熱海銀座商店街で増えた空き店舗を、東京からのUターン者や地元住民、市が青空市開催と意欲ある店主の誘致、業態転換などで再生させた。首都圏の西隣で新幹線駅がある元々の有利さは健在で、旅館・ホテル業界も花火大会などで、個人・小グループ客にとっての魅力向上に努めたことも奏功した。

近年の新幹線通勤の広がりに伴い、高額所得者が熱海に温泉付の自宅を構えて東京都内へ新幹線通勤する光景も多く見られるようになっている。