【古写真の調査後売却】陸軍一等軍医正・三崎驎之助、オペラ歌手三浦環の夫・藤井善一(鶏卵紙、手札名刺サイズ)

陸軍一等軍医正・三崎驎之助、藤井善一古写真肖像

◆藤井善一
妻は三浦 環。三浦 環(みうら たまき、1884年(明治17年)2月22日 – 1946年(昭和21年)5月26日)は、日本で初めて国際的な名声をつかんだオペラ歌手。十八番であった、プッチーニの『蝶々夫人』の「蝶々さん」と重ね合わされて、国際的に有名だった。元の名は柴田環(しばた たまき)、次いで藤井環(ふじい たまき)といった。 父の強い勧めにより、軍医の藤井善一と結婚。結婚後も補助教員として東京音楽学校に勤務。1907年、藤井善一が仙台転勤になるのを期に離婚。

◆三崎驎之助
軍医。南岳の三男。字は士駿、号は黄海、のち黄圃。生まれてすぐ大阪老松町の医師・三崎厚斎の養子となる。大阪医学校卒業後、歩兵第8聯隊附。九州小倉勤務時代、森外の部下だったことがあり、南岳は驎之助を訪ねがてら外に会っている。明治37年(1904)、日露戦争に従軍し、満州地方を転戦する。戦後、軍功により勲五等双光旭日章および功五級金鵄勲章を受ける。陸軍省医務局附、陸軍軍医学校附、遼陽衛戍病院長(満州)を歴任。陸軍一等軍医正に至る。泊園書院の熱心な後援者でもあった。墓は生玉・齢延寺にあり、東・南岳・黄鵠の墓のすぐ前に営まれている。

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