【古写真の調査後売却】大正10年・東京神田神保町通り(三省堂古書館10周年記念はがき)

大正10年・東京神田神保町通り(三省堂古書館10周年記念はがき)

◆神田神保町
東京都千代田区の地名。住居表示未実施。現行行政地名は神田神保町一丁目から神田神保町三丁目。郵便番号は101-0051。書店街として知られる。幕臣・神保長治の屋敷があったことに由来する地名。東京都千代田区北部に位置し、神田地域に属する。北で西神田、北東で神田猿楽町、東で神田駿河台、南東で神田小川町、南で神田錦町・一ツ橋、南西で九段南、西で九段北と接する。中心部には、東西に神保町西隣の靖国神社前を通る靖国通りが、南北に白山通りが通る。この2つの交差地点が神保町交差点である。多くの書店や出版社、出版問屋の取次店が所在し、世界最大規模の古書店街(神田古書店街)、書店の町として知られている。また、スポーツ用品店や登山用品店も多く立ち並ぶ。靖国通りと明大通りの交わる駿河台下交差点を境に、楽器店街の御茶ノ水とスポーツ用品店街の神田小川町に隣接しており、商業地として賑わっている。その他、救世軍日本本営・神田小隊がある。

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神保町とその周辺には、学校が多い。明治大学、法政大学、日本大学、専修大学、東京医科歯科大学、順天堂大学、共立女子大学、駿台予備校、大原簿記学校、TAC、LECなどがあり、学生街としても機能している。かつては東京商科大学や國學院大學、また昭和50年代までは中央大学もこの地にあった。法律学校を興りとする明治・中央・法政・日大・専修の各大学は神田に集った各校として「神田5大学」と呼ばれていた。特に明治、中央、日大、専修が軒を連ねる街並みは、フランスの首都パリのカルチエ・ラタンに因んで「日本のカルチェ・ラタン」として知られた。その中には、関東大震災や太平洋戦争の戦災、学生運動、校地拡大や工場等制限法の規制などにより郊外に移転した大学もあるものの、公式に認められている名称であり、今日においても使用されている。こうした地域性から安価な飲食店が多く立ち並んでいる。また、神保町は「裏路地文化」が根付く下町でもあると各種雑誌などに紹介されており、メインストリートから脇道に入ると、中央線快速沿いや今川小路など東京都心としての性格と日常生活が融合した独特の雰囲気が残っている。しかし、近年は大学校舎の高層化や、再開発による高層ビル、マンションの建設で街並みも変貌を遂げつつある。小学館や集英社の本社がある一ツ橋に隣接しており、神保町内にも多数の出版社が所在している。

かつては映画館が多数存在したが、ほとんどが閉館し、長らく「岩波ホール」1館のみとなっていた。しかし2007年7月7日に神保町シアタービルがオープンし、映画用の「神保町シアター」と吉本興業運営の「神保町花月」が入居したが、吉本興業東京本社は短期間で撤退した。