【古写真関連資料】明治の写真師と、日本写真会、日本寫眞會、浪華写真倶楽部

◆日本写真会
資生堂初代社長であり写真家でもあった福原信三が近代写真の黎明期に「写真芸術」の確立を求め、当時の富裕層アマチュア写真家、および職業写真師のために1924年(大正13年)に設立した写真同好会である。創設以来90年以上の歴史と伝統を持ち、東京銀座の資生堂本社ビル内に本部を置き活動を行っている。設立メンバーには、信三の実弟である写真家福原路草や夏目漱石の肖像写真でも有名な小川一真などがいる。運営は資生堂創業家の一族によって代々受け継がており東京都写真美術館の館長を務める福原義春なども在籍している。なお、1889年(明治22年)に設立された日本初の写真家団体「日本寫眞會」とは、同じ名称であるが無関係である。

◆日本寫眞會
1889年(明治22年)5月に榎本武揚を会長として設立された写真同好会である。
写真師、大学教授、技術者、商人など写真を研究・愛好する在日外国人24人、日本人32人により東京・木挽町商工会で発足した。榎本会長ほか、副会長に菊池大麓とウィリアム・スタージス・ビゲロー(のち岡部長職、渡辺洪基)、書記にウィリアム・K・バートン、石川巌(写真技術書の訳書多数)、委員には小川一真江木松四郎(江木鰐水の孫で江木写真店創業者)、会計に浅沼藤吉(浅沼商会創業者)をはじめそうそうたる顔ぶれが並んだ。会員はほかに、小倉倹司中島精一江崎礼二鹿島清兵衛などがいた。海外の新技法の紹介や、それらを使った作品の発表などを通して一般への写真知識の普及に大いに貢献した。
なお、1924年に設立された現存する写真同好会である「日本写真会」とは、同じ名称ではあるが無関係である。

◆浪華写真倶楽部
1904年に、大阪において、写真材料商桑田商会の後援で、桑田正三郎石井吉之助らによって創立された、主としてアマチュア写真家による団体。

1905年には、基本的に年1回の写真展(会員の作品を展示。のちに公募作品も展示)である「浪展」(なみてん)を開始しており、現在まで続いている。ちなみに、2005年には「創立100周年記念展」が開催された(東京都写真美術館他)。

その活躍が、初期の芸術写真(ピクトリアリスム)の興隆をもたらす大きな要因となった。その頃活躍した会員としては、福森白洋、梅阪鶯里、米谷紅浪、梶原啓文、横山錦渓、安井仲治、上田備山らがいる。

その後、特に、1930年の第19回浪展をきっかけとして、全体の傾向として、ストレートな作風(ストレートフォトグラフィ)に移行した。具体的な作家としては、安井仲治、花和銀吾、上田備山、小石清らがいる。

1932年の第21回浪展においては、小石清のシリーズ『初夏神経』が発表され、新興写真を代表する作品となった(翌年、写真集として刊行)。

1930年代の主要メンバーとしては、上記、安井、花和、上田、小石らのほか、平井輝七、浅野洋一、森脇英一、田中正親、小林鳴村、村田米太郎、服部義文、矢野敏延、樽井芳雄、中藤敦、本庄光郎などがいる。必ずしもすべての作家というわけではないが、一般的には、シュルレアリスム的傾向が強まり、前衛的な作品が多い。

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第二次世界大戦中は活動の停止を余儀なくされたが、戦後、上田、田中、本庄、中藤らにより、再建され、その後も、中森三弥、津田洋甫、高田誠三らが活躍している。

戦中・戦後における中断はあるものの、関東の東京写真研究会と並んで、現在まで存続する、日本における最古の写真団体の1つである。

浪華写真倶楽部の特徴は、「一人一党主義」といわれている。会員中には、天弓会、銀鈴社、丹平写真倶楽部、白日社、アヴァンギャルド造影集団など、写真家により結成された他の団体の会員を兼ねる者も多く、この主義と関係していると考えられる。