
神戸で活躍も資料少ない貿易商「ハンター」らしき写真見つかる
神戸の外国人居留地で貿易商として活躍し、神戸に骨をうずめたエドワード・ハズレット・ハンター(1843~1917年)。その名を刻む神戸・北野の「ハンター坂」に比して、実像を伝える資料は多くはないが、このほどハンターの会社前で撮影された外国人の写真が見つかった。果たして、ハンター本人かどうか、興味をそそる。
ハンターは開港に伴い来神し、1874(明治7)年にハンター商会を設立した。海運業の発展を見越し、81年に日立造船の前身にあたる大阪鉄工所を創設。日本三大造船所の一つに数えられるまでに育てた。
現在、王子動物園内に移築・公開されている国重要文化財の「旧ハンター住宅」は、ハンターが北野町3丁目で晩年を送った洋館だ。
見つかった写真はガラス乾板。サイト「幕末明治の写真師・総覧」を運営する浜畠太さん=東京都豊島区=がオークションサイトで入手した。画像は鮮明で、「イ・エチ・ハンター合名会社東京出張所」の看板が掛かる社屋の前で、人力車に乗る外国人男性が写る。浜畠さんによると、ガラス乾板に被写体の説明などは付属していなかったという。
一般に知られるハンターの写真は、親族から提供を受けた神戸市教育委員会所蔵の肖像のみ。ハンター商会は95年ごろまでに「合名会社範多商店」に改組し、長男が事業を引き継いだとされるが、「ハンター合名会社」の社名表記の時期や「東京出張所」の所在地など詳細は不明だ。
「外国人居留地と神戸」の著者で、元神戸市立博物館学芸員の田井玲子さんは「ハンターに関連する人物であることは間違いないだろう。人物が特定されれば資料として興味深い」と、今後の調査に期待する。(田中真治)