三船 秋香(みふね しゅうこう)

三船 秋香写真館青島

本名は三船徳造。妻の三船センは新潟県の旗本の家柄であったという。長男は俳優の三船敏郎。次男・三船芳郎(三進工業会長)、長女・三船君子。
秋田県由利郡川内村小川の出身。16代続く名家で、少なくとも祖父の代から漢方医の家であった。東京上野付近の漢方医に学んでいたが、カメラに興味を持ち始め、写真技術に専念するようになったという。次男であり祖父と不仲であったようで実家を継ぐことはなかった。
満州へ移住し貿易商や写真業をしていたが失敗。大正4年、「日独戦役記念写真帖」を三船写真館の名義で発行しており、その時点での住所は青島(中国山東省青島)で成功を収めている形跡がある。大正9年、長男・三船敏郎の出生地も同地で登記されている。
大正14年頃、大連に移り「スター写真館」を開業。従軍写真家として活動し、戦場の写真などを販売していた。昭和9年頃、病気で倒れ、長男の三船敏郎が写真業を手伝っていたという。
なお、三船敏郎は昭和15年に徴兵により日本へ移動し、写真技術があったため航空写真を扱う司令部偵察機の偵察員となった。

三船敏郎の近年の回顧録には、「父は青島に本拠地を置き、大連、天津、山海関などにも出店を拡張し、貿易業なども営んでいた」と記載されている。

生年/出身: 秋田(由利郡川内村小川)

開業年:

開業地、主要拠点: 海外(中国・青島)

師匠:

弟子: