【古写真関連資料】日本人写真師たちと、タイ(シャム王国)の写真史

タイ最古の写真
タイ最古の写真 副王「ピンクラオ」

◆タイの写真史

タイに写真が伝えられたのは1843年頃、フランス人宣教師ビショップ・パルクワによる。 日本では同時期(天保14年)に、上野俊之丞が長崎に届いたダゲレオタイプ写真機を目にしている。

ラーマ三世(在位期間:1824-1851)の弟で副王「ピンクラオ」のポートレートは、タイで最も古い写真とされている。当時はタイでも日本同様に「写真は魂を抜き取られる」と怖がれており、ラーマ三世は弟を代わりに写させた。

ラーマ四世(在位期間:1851-1868)の時代になると、宣教師たちから写真技術を学んだタイ人の写真家が活躍しはじめる。1863年、ビショップ・パルクワの門下「チット・チトラカーニ」が、タイ人で最初の写真スタジオを開業している。ラーマ四世は自らの写真をヨーロッパやアメリカの君主、有力者などに送り、友好関係の印とした。

ラーマ五世(在位期間:1868-1910)は自らが写真愛好家であり、機材を用いて撮影をしていたという。それによって肖像写真だけでなく、王室の暮らしや日常のうかがえる写真が残された。

◆タイで活躍した日本人写真師

磯長海洲は、上野彦馬の写真館(上海支店)で 3 年間写真撮影に従事。 明治 27 年、独立し上海で写真館を開業するが日清戦争がはじまったため、シャム王国(タイ・バンコク)に移る。タイ移住の直後に波多野章三と出会っており、写真館のための物件探しを手伝っている。明治28年、バンコクの英国公使館前に磯長照相館を開業。波多野章三は磯長照相館を手伝い始める。

波多野章三は明治31年、野崎洋行(雑貨店)がシャムの支店を設立する計画の際に雇われ、支店長(柳田亮民)とともにシャムに移住。明治33年、野崎洋行が倒産。上海からバンコクに逃れてきた磯長海洲に出会い、写真館を手伝い始める。

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ドイツ人写真家「ロバート・レンズ」はラーマ5世にも重用された宮廷付きの人物でありバンコクに写真館を開業していたが、明治35年頃、日本人の田中盛之助が薩摩から移住し弟子入りしている。田中盛之助はのちにタイ・チェンマイで最初の写真館「チェンマイ・フォト・スタジオ」を開業した。

なお、金井 弥一は、明治23年、第三回バンコク勧業博覧会で優等褒状を受賞している。