柏木 忠俊(かしわぎ ただとし)

柏木 忠俊写真師台紙鶏卵紙

通称は柏木総蔵。ほかに柏木惣蔵、柏木荘蔵など。 中浜万次郎が江川家に滞在した折に写真術を習う。 代々、江川太郎左衛門家の手代を務めてきた父・柏木平太郎の三男として生まれる。 天保 8 年、伊豆韮山の江川太郎左衛門英龍(江川坦庵)に使え中小姓兼書役見習となる。 天保 12 年、手代(公事方)となる。 弘化 3 年、江川太郎左衛門英龍に随行して伊豆七島を巡察。 嘉永 6 年、江戸周辺・防備地を視察。 安政元年、望月大象・矢田部郷雲の3人で長崎でオランダ人から造船、航海術、砲術(新式爆弾ガラナートの製法研究など)を学ぶ。韮山反射炉や品川台場の築造に従事し、江戸屋敷でパン製造を行った。江川太郎左衛門英龍の没後は遺志をついでその子・江川英敏を、 江川英敏没後はその弟・江川英武を補佐して領内 の経営に当たった。 慶応 2 年以降、領内各地に農兵小隊をおいた。芝新銭座の大小砲習練場(江川塾)は、幕府瓦解と共に長崎遊学時より懇意にしていた福沢諭吉に払い下げられ、慶應義塾の教場となった(翌年、慶應義塾の三田移転に伴い廃止)。慶応年間、韮山反射炉の写真を撮影。 明治維新後、韮山県大参事、足柄県令を歴任。 明治6年、学制頒布に伴う教員養成のため講習所を設置、現在の静岡県立韮山高等学校の基礎を築いた。 明治9年、足柄県廃止後も、木戸孝允ら旧門人の勧めを断り、福澤諭吉ら旧幕臣と交遊しながら、終生江川氏と伊豆の民業育成に尽くした。明治 11 年、死去。

生年/出身: 1824 静岡(伊豆国韮山)

開業年:

開業地、主要拠点:

師匠:

弟子: