別名は片宗利右衛門。上野彦馬の門人。
慶応元年、太宰府連歌屋町 の医師・木村適斎(息子・木村仲淵)の家に仮住まいしていた。この頃すでに写真師として活動していた。
慶応2年、9月3日、乙金村の庄屋・髙原謙次郎の日記「稼亭抄筆二」や延寿王院( 現・太宰府天満宮宮司西高辻家)の公的な記録(御用日記)など複数の記録によると、夜5つ時、薩摩浪士に呼び出され門のところまで出ると、刀で切りつけられたという。
「殺害された」「命に別条はない」という両方の文献が残り、判断できない。
事件前に「怪しい技(写真術)で民衆を惑わす人物を誅伐する」という声明文が道に落ちていたという記述も残っている。
生年/出身:
開業年:
開業地、主要拠点: 福岡(太宰府)
師匠: 上野 彦馬
弟子: