

◆写真師・長尾良明
◆三井苞子(みついもとこ)
旧姓は前田苞子。1869年(明治2年)生まれ。父は越中富山藩十二代藩主 前田利聲。のち三井高棟の妻となる。三井苞子の貴重な雛人形・雛道具が三井記念美術館に現存している。江戸時代のひな人形や実家の富山前田家より持参したひな道具、三井家嫁入り後に新調した内裏雛、ヨドコウ博物館の内裏雛と同じ作者、三世大木平蔵の明治28年の作品など、様々な時代や様式の人形、道具が含まれている。
父の前田利聲は、越中富山藩の第12代藩主。天保6年(1835年)2月17日、第10代藩主・前田利保の七男として江戸で生まれる。嘉永6年(1853年)12月19日、同母兄で第11代藩主の利友の養子となり、12月20日に兄が死去したため、嘉永7年(1854年)2月12日に家督を継ぐ。明治37年(1904年)に死去。
夫の三井高棟は、三井家10代当主。趣味人として知られ、明治39年(1906年)には、麻布区今井町(現東京都港区六本木)に大邸宅の「今井町邸」を建設。約1万3,500坪の敷地内には能舞台や庭園、テニスコートなどが設けられたほか、後に国宝となる茶室「如庵」が移築された。1922年(大正11年)には宮内庁からの依頼で英国皇太子を迎え、晩餐会や能観賞などで皇太子一行を接待した。1933年(昭和8年)に高棟の隠居に伴い今井町邸は嗣子である第11代当主の三井高公へと受け継がれたが、1945年(昭和20年)、戦災で焼失。三井苞子は翌1946年(昭和21年)に死去。三井高棟は1948年(昭和23年)死去。