【古写真関連資料】明治期に活躍した広島県内の写真師たち

広島藩は、安芸国一国と備後国の半分を領有した大藩(国主)。現在の広島県の大半を占める。藩庁は安芸国安芸郡広島の広島城に置かれた。芸州藩と呼ばれることも多い。江戸時代の藩については備後国の福山藩、安芸国の広島藩、広島新田藩。また備後の家老浅野家の広島藩の支城三原城が置かれた。

1867年 薩長芸3藩の討幕同盟が成立
1871年(明治4年): 7月14日、廃藩置県の詔勅により広島県と福山県、中津県が設置される8月4日、前藩主浅野長訓が上京を取り止める。旧広島藩内一帯に民衆の騒動(芸備16群一揆)が展開する。
1875年(明治8年): 2月、藤井勉三(山口県士族)が県令に任命される
1876年(明治9年): 4月18日:岡山県より旧備後国沼隈、深津、安那、品治、芦田、神石の6郡を広島県に移管、現在の広島県域が確定した。5月:福山支庁を設けた。備後6郡を所属させた。
1878年(明治11年):4月、広島水主町(中区加古町)に新庁舎完成
1880年(明治13年):4月、県令藤井勉三病気で依願免官、千田貞暁が任命される
1884年(明治17年): 宇品港(広島港)の起工式が行われる
1885年(明治18年): 官約移民開始。以降広島県人の移民が始まる(広島県人の移民)
1889年(明治22年): 4月1日: 広島市市制施行7月:呉鎮守府開庁。
1891年(明治24年): 山陽鉄道が9月に福山、11月に尾道まで延伸。
1894年(明治27年): 6月山陽鉄道が広島まで延びる。9月15日: 日清戦争により大本営が設けられ、明治天皇が広島へ移り一時首都となる10月:旧広島市大手町に初の火力発電所(30キロワット)が開業。
1897年(明治30年) 9月:山陽鉄道が徳山市まで延伸。1901年(明治34年)5月に馬関(下関)まで開通。
1898年(明治31年):尾道市市制施行
1899年(明治32年):県内初の水力発電所である黒瀬川の広発電所(750キロワット)が発電開始。
1902年(明治35年): 10月1日: 呉市市制施行
1903年(明治36年): 11月 呉海軍工廠設立。
1909年(明治42年):県内初の路面電車である呉市電(呉電気鉄道)が開業。
1912年(明治45年):太田川水系において大規模水力発電が始まる。亀山発電所(2100キロワット)
1912年(大正元年):広島市に路面電車開業(広島電気軌道)
1916年(大正5年): 7月1日: 福山市市制施行
1929年(昭和4年):広島文理科大学創立
1936年(昭和11年): 11月15日: 三原市市制施行
1938年(昭和13年): サンフレッチェ広島のルーツとなる東洋工業蹴球部結成
1945年(昭和20年): 8月6日: 午前8時15分(午前8時14分30秒)、広島市へアメリカにより原子爆弾投下

小川 月舟
本名は小川泰三郎。画家を目指し東京美術学校に入学したが中退。その後写真を独学し写真師となる。明治40年頃、森川愛三は、東京で小川月舟に学んだという。瀬尾砂は、東京浅草で小川月舟に学んでおり、当時の主任技師が森川愛三であった。大正 6 年頃、大阪市西区の原田写真館を受け継ぐ。 大正 8 年頃、第一