【古写真の調査後売却】羽前鶴岡、美しい少女。旅芸人と思われる肖像(鶏卵紙、台紙貼付)

旅芸人とは、旅をしながら芸をする芸人、またはそれを行う事で金銭を得、生計を立てている人。『万葉集』には「遊行女婦」として記載があり、古くは巫女舞などによる宗教の伝播に際して行脚中の巫女が舞う宗教芸能として扱われた。奈良時代から平安時代にかけては遊女として芸能一般に従事する女性を指した呼称であったことが更級日記にて語られている。平安時代末期から鎌倉時代にかけては白拍子などが有名である。『平家物語』巻ノ一「祗王」では「鳥羽院の時代に島の千歳、和歌の前という2人が舞いだしたのが白拍子の起こりである。初めは水干を身につけ、立烏帽子をかぶり、白鞘巻をさして舞ったので、男舞と呼んだ。途中で烏帽子、刀を除けて、水干だけを用いるようになって白拍子と名付けられた」と解説している。身分制度の厳しかった江戸時代において、芸人は蔑まされる存在ではあったが、旅の制約のあった一般庶民と違い、旅芸人は関所手形を持っていなくても、芸を見せて芸人であることを証明できれば、関所を通過することができた。定住を基本とする共同体においては、旅芸人のような漂泊する者は異端であり、そうしたマレビトの来訪は、神であり乞食の来訪として、畏敬と侮蔑がない交ぜとなった感情を生じさせた。明治以降も旅芸人は季節の折節に村々に現れては芸能を見せ、日本人の暮らしの季節感を彩る存在だった。