広川 晴軒(ひろかわ せいけん)

広川 晴軒写真師台紙鶏卵紙

廣川晴軒とも記載される。門人に小千谷発の写真師となった小船井理吉がいる。なお、母方の祖父が小船井家の養子であるため、 小船井理吉は親戚関係にある。
商家であった。別名は広川徳三郎。号は広川九皐楼主人。父は広川三右衛門家。次男として生まれる。のち分家の広川徳三郎家を相続。弘化3年、算学者・佐藤雪山に算学を学ぶ。安政6年、江戸に出て箕作阮甫の塾に入り天文学、窮理学等を学んだ。慶応元年、「三元素略説」を著している。三元素略説は死後に狩野亨吉によって広く紹介され注目を集めた。明治3年、太陽暦への改暦の建白を当時の集議院に対して行った。明治17年、死去。

箕作阮甫(広川晴軒の師)は、津山藩士で、宇田川玄真(飯沼慾斎、工藤謙同(工藤孝の父)の師)などに蘭学を学んだ。
箕作秋坪は、箕作阮甫の弟子で婿養子となり、のち緒方洪庵の適塾にて蘭学を学んだ。岸田吟香宇田川興斎宇田川準一などと関わっている。

生年/出身: 1803 新潟(小千谷町)

開業年:

開業地、主要拠点: 新潟(小千谷町)

師匠:

弟子: 小船井 理吉