鈴木 經勲(すずき つねのり)

日清戦争に記者として従軍し、撮影をている。

父は土佐出身で武州川島の鈴木氏に養子に入った幕臣。
昌平坂学問所で学び、のち幕府陸軍語学所でフランス語を学ぶ。
明治元年頃、静岡に移る。
1876年、ラッコ密猟船に乗り込んだ後、密猟取締策を建策。
1879年、外務省に雇われる。
1883年、マーシャル諸島(ラエー環礁)に漂着した日本人船員が現地人に殺害される事件が起こり、後藤猛太郎(日本活動フィルム(日活)の初代社長。後藤象二郎の二男。貴族院議員。伯爵)とともに南洋行きを命じられた。
1884年、イギリスの捕鯨船(エーダ号)でマーシャル諸島に赴き事件を解決する。
1886年、外務省を退官。
1889年、軍艦金剛の練習航海に同乗し、ハワイ、サモアを訪問。
1890年、田口卯吉(経済学者、歴史家、実業家。東京府会議員、衆議院議員)の南島商会に参加し、天佑丸のミクロネシア貿易巡航に同行。
1892年、『南洋探検実記』を出版。
1893年、『南島巡航記』、『南洋風物誌』を出版。
1894年、日清戦争に際して従軍記者となり写真撮影をした。『平壌大激戦実見録』を出版。
その後陸軍のためにロシアに対する密偵として働いたとされるが資料はない。その後保険会社に勤めた。
昭和13年死去。

生年/出身: 1853 東京(江戸)

開業年:

開業地、主要拠点: 愛知(名古屋)

師匠:

弟子: