【古写真の調査後売却】ベルリンで撮影された陸軍中将・南部辰丙の肖像写真(鶏卵紙、台紙貼付)

【古写真の調査後売却】ベルリンで撮影された陸軍中将・南部辰丙の肖像写真(鶏卵紙、台紙貼付)

◆南部辰丙(なんぶ しんぺい)
日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。石川県金澤市鱗町出身。父は加賀藩士・南部萬空。次男として生まれる。1875年(明治8年)2月、陸軍士官学校に入学。1877年(明治10年)12月、歩兵少尉に任官し陸士(旧1期)を卒業した。1896年(明治29年)12月、歩兵第42連隊長に就任し、1897年(明治30年)10月、東部都督部参謀に異動。1898年(明治31年)10月、歩兵第6連隊長となり、1899年(明治32年)同年2月、歩兵大佐に昇進。日露戦争に出征。1904年(明治37年)7月、陸軍少将に進級し歩兵第5旅団長に移り、奉天会戦などに参戦。1905年(明治38年)6月、陸士校長に転じた。1911年(明治44年)9月、陸軍中将に進み下関要塞司令官に着任。1912年(明治45年)2月、憲兵司令官に就任し、1915年(大正4年)2月、第2師団長に親補された。1916年(大正5年)8月に待命、1917年(大正6年)4月、予備役に編入となった。1919年(大正8年)4月1日、後備役に編入。妻は石川縣士族・松原小四郞二女の松原鶴。養子に石川縣士族・南部賴精二男の南部外茂起(陸軍少将)。

【位階】
1892年(明治25年)3月11日 – 従六位
1896年(明治29年)3月24日 – 正六位
1899年(明治32年)4月10日 – 従五位
1904年(明治37年)5月16日 – 正五位
1909年(明治42年)6月21日 – 従四位
1914年(大正3年)7月10日 – 正四位
【勲章等】
1890年(明治23年)5月30日 – 勲六等瑞宝章
1895年(明治28年)5月23日 – 勲五等瑞宝章
1895年(明治28年)10月18日 – 双光旭日章、功四級金鵄勲章
1895年(明治28年)11月18日 – 明治二十七八年従軍記章
1901年(明治34年)11月30日 – 勲四等瑞宝章
1905年(明治38年)5月30日 – 勲三等瑞宝章
1906年(明治39年)4月1日 – 功二級金鵄勲章、勲二等旭日重光章、明治三十七八年従軍記章
1915年(大正4年)11月7日 – 旭日大綬章、大正三四年従軍記章
1915年(大正4年)11月10日 – 大礼記念章