高谷 克三郎(たかたに かつさぶろう)

高谷 克三郎写真師台紙鶏卵紙

旧姓は栗田克三郎。父は栗田文吾といい、代々垂井宿の本陣の当主であった。栗田氏の祖先は、美濃の武士・神伊織守長左衛門という。500石と記された資料もある。母は栗田みつ。長男として出生。いつから京都に移ったか不明だが、幼い頃、同志社で英語を学んだという。のち、外国人主導の東海道鉄道敷設工事、蹴上インクライン工事、京都疎水工事に従事しており、その間に英語の原書から写真術の新しい技術等を独学で研究習得した。京都川端通りに京都大学の学生を対象に英語塾を開いていたこともあるという。
明治20年、岩国の長州藩医・高谷健齋、妻・こうの長女「高谷由幾」の婿となり、高谷克三郎と名を改めた。高谷由起という写真台紙が残っており、これは高谷由幾と同一人物と思われる。 高谷健齋の父は森岡新兵衛といい、長州藩医・高谷才助の娘・高谷こうに婿入りした。
明治20年頃、京都寺町通松原に開業。のち、長男・高谷健三が継いだ。また長女・高谷静尾は二条河原町の分館を経営し、主に女性の撮影を行っている。

生年/出身: 1868 岐阜(不破郡垂井村)

開業年: 1887(明治 20 年頃 )

開業地、主要拠点: 京都(寺町通松原)

師匠:

弟子: 高谷 健三 高谷 静尾 高谷 由起