
藩に雇用されていた儒学者・立木信憲(1741年~1824年、100石)の子または孫と思われる。立木信憲の父は津田栄太郎という。立木信憲は、天明5年、城下南に隠居していた10代藩主・蜂須賀重喜の儒臣となった。藩の儒学者として立木信憲の跡を継いだのは実子ではなく、立木信憲の兄の子「立木信共(2代目)」であり、立木信共の子(立木松園)は3代目となっている。徳島藩典医の家に生まれ、藩校でオランダ語、ドイツ語、英語を学ぶ。 慶応 2 年、藩からの留学生として長崎へ医学修行に出た兄・立木文龍が、上野彦馬と出会っている。 また、科学者・長井長義を通じて写真に興味を持った。 長井長義 も徳島藩典医の家で、慶応 2 年に長崎留学を命じられており、化学をボードウィンか ら学んだだけでなく、長崎での下宿先が上野彦馬宅であった。 明治 16 年、徳島市に立木写真舘を開業。のち善通寺にも分館を設けた。 明治 39 年、徳島県でいちはやく長距離電話を取り入れた。 明治 42 年、赤レンガの「マンサード式」洋館の社屋を新築。 大正 10 年、死去。上野彦馬の門人に立木行義という名があるが、同一人物か特定できない。立木真一は息子で跡継ぎ。
生年/出身: 1853(嘉永 8 年 ) 徳島(阿波国)
開業年: 1883
開業地、主要拠点: 徳島(徳島市)
師匠: 上野 彦馬
弟子: 立木 真一