熊谷宿下町の煙草問屋「銭屋」・中村庄五郎(初代)の末裔。祖父は 7 代目・中村平七。父は祖父の長男で 8 代目・中村米吉。 中村米吉は下野国足利町の薬種商「小松屋」に奉公の後、相続し、2 世平七を襲名。なお、8 代目・中村米吉は俳人であり中村夕雨を号とした。 明治 21 年、3 才で家督相続し、中村成一郎は 9 代目となる。 旧制熊谷中学を卒業。 熊谷町の写真師・中沢麗泉(中沢 一策)と熊谷町竹町・増田写真館に師事し、写真技術を学んだ。 明治 38 年頃、主に屋外の出張撮影を手掛けた。また師の真雅堂と増田写真館を借り撮影も行った。 父の号「中村夕雨」を写真の号で使用することもあった。 大正 3 年、富士見町(現星川)に移り「中村写真館」を開業。 昭和 19 年、死去。 妻・林俊子は 埼玉県北、中葛飾、北埼玉の郡長などを歴任し俳人でもあった林有章の 4 女で、林頼三郎(司法大臣)の義妹にあたる。
なお、俳人の押田文岱は、江戸牛込の旗本で、明治10年に熊谷にきて北辰堂印舖を開いた。明治19年には内田朴山と芭蕉堂七世内海良大師を熊谷に招き、明治21年「水音盟書社」を結成し『俳諧十二支』を創刊。水音盟書社の会員に写真師となった中沢麗泉、中村夕雨と、吉原秀雄に自邸を貸した竹井澹如がいる。
生年/出身: 1885 埼玉(熊谷本町 4 丁目)
開業年:
開業地、主要拠点: 埼玉(熊谷富士見町)
弟子: