中村 董(なかむら ただし)

写真師中村董台紙

明治初年頃、吉川雅武に写真術を教えている。 東京神田淡路町で開業していた。 明治8年、12月13日の大火で新吉原遊廓の630戸が全焼。深川へ仮宅が設けられ、そこで地本問屋の広岡屋幸助が写真師・中村董を雇い、深川八幡祠畔に写真館を開業。遊女の張見世禁止に伴う写真見世の需要を見込んだが失敗したという。中村董は信頼を失った。この広岡屋幸助の写真館を加藤正吉は経営を任されることになった。明治10年、 加藤正吉広岡屋幸助の写真館を辞め、自ら新吉原遊廓内に写真館を開業した。
明治 10 年代後半、東京外神田御成道に写場を移転している。美影堂の館名が残る。 のち東京外神田五軒町にも移転。明治 19 年、工藤孝に写真術を教えている。

生年/出身:

開業年: (明治 10 年以前 )

開業地、主要拠点: 東京(神田淡路町壹丁目一番地、外神田御成道松富町ニ番地、外神田五軒町三番地、深川富岡八幡社内支廛、新吉原)

師匠:

弟子: 吉川 雅武 工藤 孝