松本 幸八(まつもと こうはち)

松本幸八写真師台紙鶏卵紙

明治33年9月14日の新聞記事に、山本讃七郎の語った記事がある。記事の内容は、 北京で西太后とともに籠城し九死に一生を得たこと、助手の「渡辺友吉」「松本幸八」を連れてふたたび清へ渡り、写真館を開いたたことなどが語られている。上州高崎と記載された台紙がある。

生年/出身:

開業年:

開業地、主要拠点: 海外(中国・北京)、群馬(高崎)

師匠: 山本 讃七郎

弟子: