村上 天真(むらかみ てんしん)

朝鮮写真師村上天真台紙

本名は村上幸次郎。村上幸二郎という表記も有る。少年時に写真術を学んだという。 明治27年より以前の詳細は不明だが、京都(祇園石壇前)で開業していた形跡があり、台紙が残っている。 明治 27 年、陸軍として、平壌の激戦に加わる。のち帰国し「めさまし新聞」の特派写真師となった。 明治 30 年、さらに朝鮮に渡ったが休戦により、京城南山生影館に写真館・天真堂を開業。 明治 34 年、京釜線踏査の際に呼ばれ各地を撮影。 李氏朝鮮の第 26 代王・高宗の妃・閔妃の写真を撮影したとされており、スパイとなって閔妃の暗殺に関 わったとされるが、事実かどうか不明。 「朝鮮京城 天真堂」の台紙で京城歳構想図という写真が現存している。 朝鮮在住内地人実業家人名辞典(朝鮮実業新聞社)などに名が残っている。鳳仙館という館名も残っている。また、丸木利陽の弟子・岩田鼎を写真技師に雇ったという広告を出している。

なお、「めさまし新聞」については3社確認されており、発刊されていた年代から見ても以下(3)が村上天真の在籍した新聞社と思われる。

(1)現在の『西日本新聞』の前身
1878年(明治11)12月15日、福岡の薬種商・藤井孫次郎が創刊した隔日刊紙。平易な、振り仮名つきの小新聞。1879年8月22日第105号まで発行。1879年8月25日から『筑紫新報』と改題、論説を掲げる。さらに翌年4月『福岡日日新聞』と改題、日刊となった。

(2)現在の『朝日新聞』の前身
1887年(明治20)4月1日、星亨が『燈(ともしび)新聞』(1886年1月『自由燈』を改題)を改題発行した新聞。 自由党系の小新聞だったが、頻々たる発行停止と、星が保安条例で帝都退去を命ぜられたため、村山龍平が買収、紙面を刷新して1888年7月10日『東京朝日新聞』と改題。

(3)政友会系『人民』
1893年(明治26)11月15日、上野岩太郎、遠藤安五郎が創刊した自由党系の新聞。1895年『東京新聞』、1897年『人民』と改題。

生年/出身: 1867

開業年: 1897

開業地、主要拠点: 海外(朝鮮京城)、京都(祇園石壇前)

師匠:

弟子: 岩田 鼎