
王子区赤羽台の陸軍被服本廠(被服倉庫)の役人であったという。役人を辞め、東京向島に住み、人形町で米国から輸入した写真器で撮った写真を双眼写真として販売を始める。
村山峰月(旧漢字ではない)の表記や、「本邦に於ける双眼写真発明者」 「双眼写真及び立体写真画製造販売元」 「東洋双眼写真館本店」などと記載された台紙がある。双眼写真の発明者とうたっているが、外国のステレオスコープの模造であったと伝わる。
明治20年ごろ、高田喜代吉(初代)が写真術を学んでいる。
生年/出身:
開業年:
開業地、主要拠点: 東京(日本橋区人形町通元大坂町12)
師匠:
弟子: 高田 喜代吉(初代)