市田 幸四郎(いちだ こうしろう)

本名は、氷見幸四郎。 父は氷見良明(鐘紡重役)。明治 26 年、市田左右太(初代)の養子となる。明治 29 年、市田左右太(初代)が亡くなり、市田幸四郎は市田左右太(2 代目)の下で育てられた。 明治 40 年頃、写真館の経営だけでは満足できず、館内にコロタイプ写真印刷工場を設けた。明治 40 年、結婚。妻・金森四寿子は明治 26 年東京麻布材木町生まれ、父はキリスト教の伝道者・金森通倫。幼時期に生母と死別し市田家に引き取られ、市田幸四郎とは許嫁のような間柄であった。金森四寿子の兄弟に金森太郎(農商務、内務官僚)、金森次郎(東京光学機械元社長)、金森五郎(医師)、金子九郎(日本児童遊園協会常務理事等を歴任)などがいる。
明治 41 年、長男・市田左右一(工学博士・切手収集家で有名、のち国際サッカー連盟 (FIFA) 常任理事など歴任)が生まれる。 明治 43 年、市田印刷合名会社を設立し、凸版印刷の関西代理店となる。 大正 2 年、市田左右太(2 代目)は印刷事業の拡張に消極的であったこともあり、市田幸四郎が自動オフ セット枚葉輪転印刷機を独断で発注したことで、市田家から除籍(分家)となる。 大正中期、輪転機を用いたオフセット印刷を日本に導入。 のちに市田印刷は日清印刷に吸収され、日清印刷は大日本印刷に合流した。 昭和 2 年、死去。

生年/出身: 1885 兵庫(神戸元町通)

開業年:

開業地、主要拠点: 兵庫(神戸)

師匠: 市田 左右太(初代) 市田 左右太(二代)

弟子: