【現地視察】富重写真場・熊本県熊本市

富重写真場熊本市
2019年12月3日『橋側から見た富重写真場』
富重利平写真師熊本
2019年12月3日 『駐車場側に残る当時の看板』
富重写真師
2019年12月3日 『商店街側にある肖像と文化庁登録有形文化財の証』
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◆概要(文化遺産オンラインより抜粋 )
熊本県
明治/1868-1911
木造2階建、瓦葺、建築面積138㎡
1棟
熊本県熊本市新町2-8-5
登録年月日:20060327
冨重写真館
登録有形文化財(建造物)
西側接道の敷地の南東に西面して建つ。桁行7間,梁間3間規模で,東西棟,切妻造,桟瓦葺の木造2階建。外壁は下見板張とする。坪井川に面する東側には,1階に手摺付の縁を設け,庇を張り出す。スラントを用いた撮影室を残す,明治期の写真館の遺構として貴重。

◆写真師 富重利平
旧姓は篠倉。 天保 8 年、篠倉久助の長男として生まれる。 のち富重久吾の養子となった。 安政元年、長崎に行き商売を志す。 文久 2 年、写真術を習得するため、長崎今下街の亀谷徳治郎から学んだ。 元治元年、亀谷徳治郎が京都で開業したため、長崎で上野彦馬から写真術の教えを受ける。 慶応 2 年、筑後柳川町で開業。 明治 2 年、肥後国高瀬藩主・細川能登守利永の招きで高瀬(玉名市)に移る。 まもなくして、熊本藩家老・米田監物是豪(文献によっては、細川藩の家老・長岡監物とある)の招きに 応じて熊本に赴いた。 明治 3 年、新町一丁目(新堀町)に移る。 明治 4 年、陸軍少将・井田譲を撮影。また、井田譲の依頼により旧藩邸を撮影。 明治 5 年頃、熊本城・山崎練兵場・水前寺公園などを撮影。 明治 9 年、塩屋町裏二番町に移転。 明治 10 年、西南の役の際を撮影。 また夏目漱石、小泉八雲なども撮影している。 明治 11 年、谷干城など軍幹部を撮影。 明治 24 年(30 年とも)、熊本の写真師同盟を発足し、自ら会長となる。 明治 26 年、第 6 師団長・北白川宮能久親王を撮影。北白川宮能久親王に写真術を指導した。 明治 31 年、九州写真師同盟会熊本支部長。 明治 33 年、大日本写真協会熊本支部長。 明治 36 年、第五回内国勧業博覧会に出品し三等賞牌を受賞。 明治 36 年、熊本商業会議所副会頭。 明治 36 年、富重徳次が手伝いに入る。 明治 40 年、大日本写真師大会にて全国来賓総代。 明治 43 年、ドイツ、ドレスデンの万国衛生博覧会に出品。 大正 11 年、死去。安国寺に葬られた。 昭和 38 年、熊本県近代文化功労者に選定。

◆写真師 富重徳次
富重利平の跡継ぎ。 明治 34 年、上京し、正則英語学校(現・正則学園高)に学ぶ。 明治 36 年、帰郷し富重写真所を手伝う。 また、雑誌「太陽」「文学界」などに芸術写真を投稿し入賞を重ねた。 明治 38 年、熊本市白川郵便局長。その後、2 代目として写真業に従事した。 大正 11 年、熊本県写真師同業組合長。