岩橋 章山(いわはし しょうざん)

銅石版画家・岩橋教章の長男。幼名は米次郎。 父から銅版の技法を学ぶ。 明治 16 年、内務省地理局に勤務の傍ら、東京麹町区永田町の自宅に銅版彫刻印刷所を開設。 明治 19 年、陸軍技手となり、陸地測量部で銅版技術を指導。のち陸軍六等技師となる。 明治 22 年、陸地測量部内の修技所助教となった。 明治 23 年、官を辞して銅版彫刻を専業とする。 明治 32 年、台湾総督府からパリ万国博覧会の事務を嘱託され、台湾に赴任。 明治 33 年、台湾日日新聞に入り、同地で銅石版術を指導。 帰国後は写真製版の研究を始め、再び台湾に渡り台北に製版所を開いた。 大正 4 年、辻本写真工芸社に入社し、グラビール銅凹版の研究に従事。 「朝日グラフィック」の生みの親とされる。

生年/出身: 1863 東京(江戸小石川柳町)

開業年:

開業地、主要拠点: 東京

師匠: 岩橋 教章

弟子: