宇田川 興斎(うたがわ こうさい)

父は美濃大垣藩医・飯沼慾斎。三男。 宇田川家は蘭学の名門として知られる。 天保 5 年頃、江戸詰めの大垣藩医の家から、師匠筋の宇田川家(津山藩医で蘭学者・宇田川榕菴)へ養子 に出され津山藩医となる。 弘化 3 年、家督を相続。 弘化 3 年、幕府天文台訳員となり、幕府外交文書の翻訳に従事。 嘉永 6 年、ペリー来航の際に箕作阮甫らと共に対米露交渉時に翻訳業で活躍。 安政 4 年、「英吉利文」上巻を編纂・刊行。 万延元年頃、蘭書から卵白湿板写真術の解説書「ホトガラヒイ」を翻訳。 文久元年、津山に戻り医業に専念。 明治 5 年、東京に移住し、蛎殻町 3 丁目の旧藩主松平家邸内に住んだ。 漢学、和歌、謡曲、囲碁などの趣味も高い技術を持っていたという。

生年/出身: 1821 岐阜(美濃国大垣)

開業年:

開業地、主要拠点:

師匠: 飯沼 慾斎

弟子: 宇田川 準一