【古写真の調査後売却】島田宿・秋野家

秋野家島田宿写真師台紙鶏卵紙

◆秋野家
明治天皇は、東幸、還幸、再東幸の三度は上本陣村松九郎治で、明治十一年(一八七八)の時に秋野平八宅に泊まった。
以下の人物により、維新後から戦後まで島田の政治経済を担ってきた家系であった。大津通りにある秋野家宅の前には、現在も明治天皇行幸の碑があり、邸内にはかつて明治天皇が休息した部屋が残る。

◆秋野平八
志太郡島田町大津通(現・島田市)にて酒造りをしており、維新後に戸長を務めた。

◆秋野橘太郎
秋野平八の長男。
明治十九年(一八八六)に資本金三五万円の島田銀行(のち西駿銀行、浜松銀行となり現・静岡銀行)を創設し、県会議員、志太郡会議員として活躍した。秋野雪香の号で 書や俳句をたしなむ文人としても知られた。
株式會?島田銀行頭取、島田軌道株式會?取締役、株式 会社 三十五銀行、株式会社島田貯蓄銀行各監査役

◆秋野万次郎
秋野橘太郎の弟。
島田町長。

◆秋野雅太郎
秋野橘太郎の長男。
志太郡会議員として地方行政に尽くした。
株式会社西駿銀行、富士製氷株式會?各取締役株式 会社 島田銀行支配人

◆秋野三千男
秋野橘太郎の孫。
島田町会議長などに就任し、昭和戦後は経済復興のため日本茶の海外輸出を推進。島田信用金庫会長などを務め、産業功労の 藍綬褒章を授与した。

◆秋野寿三夫
秋野三千男の長男。
静岡銀行営業渉外部長、島田信用金庫理事長。

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◆島田宿
(しまだしゅく、しまだじゅく、旧名「嶋田宿」)は、東海道五十三次の23番目の宿場である。現在の静岡県島田市。大井川の左岸(江戸側)にあるため、増水で大井川の川越が禁止されると、お伊勢詣りなどの江戸から京都方面へ上る旅客が足止めされ、さながら江戸のような賑わいをみせた。長雨により、滞在費と遊興費に所持金を使い果たすことも珍しくなかった。そのため、所持金が無くなったり宿が満員になった際に家を借りた名残で、島田の旧・東海道沿いには御仮屋という地名がある。「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ 大井川」と詠われた、東海道の難所の一つである。かつての川越し宿場は「島田宿大井川川越遺跡」として国の史跡となっている。 大井川上流から切り出された木材の集積地としても発展。元禄期には運河が開削され、栃山川、木屋川を経て、和田湊(現在の焼津漁港南部)から江戸に運ばれた。島田宿大井川川越遺跡(しまだしゅくおおいがわかわごしいせき)とは、静岡県島田市にある国指定の史跡である。 川会所をはじめとする施設等20か所および施設のある街道が史跡に含まれる。 島田宿大井川川越遺跡の「川越」とは、大井川の川越制度に由来しており、1966年(昭和41年)8月1日に国の史跡に指定された(昭和41年文化財保護委員会告示第60号)。1970年(昭和45年)から1982年(昭和57年)にかけて、川会所の移築復元、札場、仲間の宿、二番宿などの復元が行われており、市による発掘調査が並行して実施されている。また、文化財指定後の市による調査結果から、史跡の一部追加指定および指定誤りによる一部指定解除が2014年(平成26年)年3月18日に実施された。 徳川家康が征夷大将軍となった慶長八年以降に、諸街道は江戸防衛の要所として大井川の渡船、架橋を禁じられて「渡渉制度」が施されるようになった。渡渉制度の当初は、一般の旅人と川越人足との話し合いで比較的自由に賃銭を決めていた。そのため、わざと深い所を通って高い賃銭を取る川越し無作法が横行していた。
寛文五年、川越賃銭の具体的取り決めを示す高札が出され、水の深さで問屋方で賃銭を定め、これより多く取ってはならないことや、川越しの者が渡す時は番人がつくことが定められた。翌年には川越し無作法を取り締まるための川目代が置かれ、その後も渡渉の統制化が強化されていった。 元禄九年に川越業務が問屋場から独立し、川庄屋が任命される。この時に川会所も設立され、運営上必要な組織が次々と作られた。 明治三年、太政官布令により、河川の渡船や架橋が許されると同時に渡渉制度は廃止となった。 1966年(昭和41年)8月1日、川越制度に関する遺跡として島田宿大井川川越遺跡(しまだしゅくおおいがわかわごしいせき)の名称で国の史跡に指定された。 2015年(平成27年)3月、島田市教育委員会により「島田宿大井川川越遺跡保存管理計画」が策定された。計画では、川越遺跡の価値を明確にし、現状と課題を整備するとしたうえで、適切な保存管理のための整備活用に関する方針が示されている。 島田宿川越遺跡の施設は、主に川会所、札場、立合宿、番宿がある。 川会所 – 川越制度全体の取り仕切り、川越の料金設定、川札の販売を行う役所。札場 – 人足が川札を換金する場所。立合宿 – 立会人・陸取り・年寄・口取などと呼ばれる高齢になった川越人足が集う場所。立会人は島田宿に来た人の案内など、川越しにともなう陸上での様々な仕事を行った。立会宿のほか、仲間の宿、口取宿とも呼ばれる。番宿 – 一番から十番までの十組に分かれた人足の待機場所として使われていた。二番宿、三番宿、六番宿、十番宿は復元された。