
◆威仁親王妃慰子
日本の皇族。有栖川宮威仁親王の妃。有栖川宮家最後の皇族である。加賀藩最後の藩主の侯爵前田慶寧の四女で、1880年(明治13年)に威仁親王妃となった。漢学や和歌、絵画、書道などに通じ、特に有栖川流書道を極めていた。明治天皇の信任が厚い威仁親王とともに皇室に仕え、1889年(明治22年)から翌年にかけては威仁親王の欧米視察旅行にも同行した。績子女王、栽仁王、實枝子女王の一男二女をもうけたが、績子女王と栽仁王はともに夭折、實枝子女王は徳川慶久に嫁いだため、慰子妃の薨去を持って有栖川宮家は断絶した。のちに有栖川宮家の祭祀は大正天皇の第三皇子・高松宮宣仁親王がこれを継承したが、こちらも2004年(平成16年)に同親王妃・喜久子の薨去をもって断絶した。
