織田 信真(おだ のぶざね)

幼名は豊満寿丸、のち織田織之助。 織田家は高家旗本で、織田信長の七男・織田信高につながる家柄。織田信高、織田高重、織田一之、織田高元、織田信門、織田信直とつながり、祖父は織田長孺。父は織田長孺の次男で従五位下侍従・淡路守・織田長裕。母は父 の正室・毛利高標の娘。弟は明治3年に元高家・武田崇信の婿養子となるが、明治4年に離縁した武田鐡之丞。

安政 2 年、父の隠居により、家督を相続する。 その後も高家職に就任することなく、表高家衆として過ごす。表高家内の席次は第一位。 文久 3 年、将軍徳川家茂に御目見をする。 慶応 3 年、武鑑での石高 2000 石と記載されている。 明治元年、太政官より「旧旗下織田織之助本領安堵ノ儀」を、大津県へ下達される。 明治 5 年、江戸の薬種問屋・杉浦六三郎(杉浦六右衛門)の肖像写真を撮影している。明治 9 年、横山松三郎から写真館「通天楼」を譲り受け、新橋門前町から上野池之端に移り、横山松三郎の通天楼を改築し、機材や弟子も引き受け、写真館を開いた。秩禄処分後は写真師として生計を立てていた。

生年/出身: 1842 東京(武蔵国江戸)

開業年:

開業地、主要拠点: 東京(池之端仲町 7)

師匠:

弟子: