【古写真の調査後売却】SONY盛田昭夫の先祖・盛田太助

SONY盛田昭夫の先祖・盛田太助

◆盛田太助
四男:盛田善平
五男:盛田良吉【中埜良吉】(中埜又左衛門の養子)
長女:盛田ちよ(中埜酒店社長 盛田久左衛門の妻)

◆盛田株式会社
愛知県名古屋市栄一丁目7番34号所在の、酒類・醤油・調味料・味噌を製造する醸造会社である。1665年(寛文5年)に、愛知県知多郡小鈴谷村(こすがやむら、現・常滑市小鈴谷)で創業。自社ブランドとして清酒「ねのひ」、味噌醤油、調味料商標の「盛田」を展開する。
ソニーの創業者・盛田昭夫の実家で、ソニー創業期に資金が苦しかった頃、増資引受という名目で資金提供を行ったことから、一時期はソニーの筆頭株主であった。現在の同社は、旧・盛田株式会社(現・盛田アセットマネジメント)から製造販売部門を分社化して2004年(平成16年)9月1日に設立した会社である。旧・盛田は香川県の大手醸造会社・マルキン忠勇の筆頭株主であったが、分割された新・盛田は同社と経営統合し、現在は持株会社のジャパン・フード&リカー・アライアンス (JFLA) の完全子会社である。資産管理会社の盛田アセットマネジメントはJFLAの当初よりの筆頭株主であったが、2015年には2%弱まで保有株式を減らしている。
また、盛田の系列会社の山泉商会は、イズミック、盛田エンタプライズと社名を変更。傘下に酒類卸業のイズミックを中心としたMICSグループを形成している。

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◆盛田善平
(もりた ぜんぺい、1864年1月15日(文久3年12月7日) – 1937年(昭和12年)2月24日[1])は、日本の実業家。敷島製パンの創業者で初代社長。尾張国知多郡小鈴谷村(現・愛知県常滑市)で造り酒屋を営んでいた盛田太助の五男で[2][3]、敷島製パンの現社長盛田淳夫はひ孫[4]。中埜酢店(現・ミツカン)の4代中埜又左衛門は叔父に当たる[4]。1864年1月15日(文久3年12月7日)、造り酒屋の五男として生まれた善平は家業を継ぐも酒税法の改正により廃業[3][4]。当時ミツカンの創業家である中埜家の養子となっていた叔父の4代中埜又左衛門から「ビールづくりを手伝って欲しい」と頼まれたのを期に独学でビール造りを学び[4]、1887年(明治20年)に又左衛門と共に丸三麦酒醸造所を創業する[5][注 1]。その後、善平は綿糸ののりづけに使用されていた小麦粉に目をつけ[注 2]、1899年(明治32年)に敷島製パンの前身となる敷島屋製粉工場を半田町(現・半田市)に設立[2][3][4]。それから善平は、マカロニの製造に取り組んだが、マカロニの穴を作る技術が難しく頭を抱えていた[2][4]。この頃、第一次世界大戦中で名古屋のドイツ人捕虜収容所に収容されていたパン職人のハインリヒ・フロインドリーブと出会い、パンが米の代用になるのではと考えパンの製造を決意する[2][4]。これは、1918年(大正7年)富山県魚津町に端を発した米騒動に目にし食糧難を解決したいという思いがあったもので[2][4]、大戦終了後の1919年(大正8年)に敷島製パンを創立[6]。翌1920年(大正9年)には開放されたフロインドリーブを技師長に招き創業した[6]。以後、1932年(昭和7年)に愛知県会議員となり[1]、1937年(昭和12年)2月24日、満74歳で死去。盛田淳夫 盛田善平の曾孫。1998年より敷島製パン代表取締役社長。盛田厚(もりたあつし)盛田和昭の二男[19]。株式会社ソニー・インタラクティブエンタテインメント取締役、ソニー・インタラクティブエンタテインメントジャパンアジア プレジデント[20]。株式会社フォワードワークス代表取締役社長[21]。敷島製パン取締役[22]。

◆中埜良吉
中埜銀行專務理事、中埜貯蓄銀行、龜甲富油株式會各常務取締役、加富登麥酒株式會?、半田倉庫株式會?、半田市場株式會各取締役、愛知商業會議所會頭

◆盛田久左衛門
盛田合資會々長、龜甲富油株式會?監査役、株式會知多銀行、株式會知多貯蓄銀行各顧問、知多商業會議所議員

◆4代中埜又左衛門
(なかのまたざえもん、1854年 – 1895年) ミツカン酢の中埜家4代目。盛田家(分家)から中埜家に養子。盛田善平のおじ。盛田善平とともにカブトビール(丸三麦酒)創始者である。4代目から中野姓から中埜姓になっている。

◆盛田昭夫
(もりたあきお、1921年1月26日 – 1999年10月3日) 第15代盛田家当主、ソニーの創業者のひとり。愛知県知多郡小鈴谷村(こすがやむら・現常滑市小鈴谷)出身。「子の日松」の造り酒屋・盛田家14代目盛田久左ヱ門の長男。盛田良子 盛田昭夫の夫人。三省堂書店創業者一族である亀井豊治の四女。2015年3月14日死去。85歳。盛田英夫(英粮)(もりたひでお、1952年2月17日 – ) 盛田昭夫の長男。第16代盛田家当主。芦屋大学卒業後、CBS・ソニー入社。エピック・ソニーを経て、レイケイ社長、盛田株式会社社主、ジャパン・フード&リカー・アライアンス株式会社会長、財団法人鈴渓学術財団理事長、財団法人盛田国際教育振興財団専務理事、株式会社盛田トラスティー プレジデントなどを歴任した。1978年に女優岡崎友紀と結婚するが1981年に離婚。2015年12月不適切な融資等の問題からJFLAグループの各役職を辞任した。盛田昌夫(もりたまさお、1954年9月4日 – ) 盛田昭夫の次男。ジョージタウン大学卒業後、モルガン銀行を経て、1981年ソニーに入社。ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本)代表取締役社長、ソニー業務執行役員常務を歴任。2005年6月22日よりソニーのブランド・クリエイティブセンター担当SVP(シニア・バイス・プレジデント)、2009年6月24日よりソニー・ミュージックエンタテインメント代表取締役会長、同年6月30日よりソニー・ピクチャーズ エンタテインメント代表取締役。

盛田和昭(もりたかずあき、1923年3月5日 – ) 盛田家14代目盛田久左衛門の次男、盛田昭夫の実弟。ソニーを興した兄に代わり盛田株式会社を継ぐ。株式会社イズミック会長、盛田エンタプライズ株式会社会長、盛田株式会社顧問、盛田金しゃちビール株式会社取締役会長、敷島製パン株式会社相談役、盛田アセットマネジメント名誉会長、ソニー特別顧問。

盛田宏(もりたひろし、1957年5月8日 – ) 1980年3月慶應義塾大学経済学部卒業後、盛田株式会社入社。株式会社イズミック社長、盛田エンタプライズ株式会社社長、株式会社ココストア社長、盛田甲州ワイナリー株式会社社長、盛田金しゃちビール株式会社代表取締役社長、敷島製パン株式会社副社長。

盛田正明(もりたまさあき、1927年5月29日 – ) 盛田昭夫の実弟。東京工業大学電気化学科卒業後、東京通信工業株式会社(現ソニー)に入社。ソニー副社長、ソニー・アメリカ会長兼CEO、ソニー生命保険取締役会長等を歴任。財団法人日本テニス協会会長。

◆中埜銀行
かつて愛知県半田市に存在した日本の銀行である。ミツカン創業家の5代目中埜又左衛門が1901年(明治34年)に資本金20万円で合名会社中埜銀行を設立[1][2]。1917年(大正4年)には、株式会社中埜銀行が設立され、合名会社中埜銀行の業務を継承[2]。1928年(昭和3年)に、株式会社中埜貯蓄銀行を合併した[2]。
1938年(昭和13年)12月5日には、当時の大蔵省が推進した一県一行主義により伊藤銀行に営業譲渡[2][3]。銀行を廃業した中埜銀行はその後中埜商事株式会社と名前を変えたが、1948年(昭和23年)9月1日をもって解散している[2]。なお、旧中埜銀行本店(現・ミツカングループ本社中央研究所)は1925年(大正14年)に竣工したもので[1]鈴木禎次の設計によるものである[4]。

◆関連会社
ソニー株式会社
ミツカン
中埜銀行
盛田アセットマネジメント
盛田エンタプライズ
ねのひ(酒類商標)
盛田(調味料商標。ヤマイヅミを改称)
マルキン(調味料商標。旧・マルキン忠勇)
忠勇(食料品商標。旧・マルキン忠勇)
マルシチ(調味料商標。旧・高橋弥次右衛門商店)
ハイピース(調味料商標。旧・ハイピース)
イチミツボシ(調味料商標。旧・加賀屋醤油)
ヤマイヅミ(山泉。かつての調味料商標)
鈴渓学術財団
レイケイ/ガラヒ産業
敷島製パン
MICS化学株式会社
盛田甲州ワイナリー株式会社(ワインメーカー)
盛田金しゃち酒造株式会社(日本酒製造)
頸城酒造株式会社(日本酒製造)
株式会社盛田トレーディングカンパニー(輸入商社)
ワダカン株式会社(食品メーカー)
盛田金しゃちビール
イズミック
マルキン醤油株式会社 – ブランド管理会社[8]
忠勇株式会社 – ブランド管理会社[8]
株式会社マルシチ – ブランド管理会社[8]
加賀屋醤油株式会社 – ブランド管理会社[8]
加賀の井酒造株式会社 – 酒類醸造販売
株式会社老田酒造店 – 酒類醸造販売
中川酒造株式会社 – 酒類醸造販売
千代菊株式会社 – 酒類醸造販売
常楽酒造株式会社 – 酒類醸造販売
佐藤焼酎製造場株式会社 – 酒類醸造販売
銀盤酒造株式会社 – 酒類醸造販売
大連丸金食品有限公司 – 中国における醤油醸造販売