【古写真関連資料】写真師・秋尾新六と、乃木希典の自刃前写真

秋尾 新六撮影乃木希典

秋尾 新六
秋尾園の弟。父の秋尾利義は沼田藩士(70 石)で、幕府陸軍馬術指南役、帝国陸軍馬術教官、藩校の剣術指南、微塵流 の師であった。 別名は秋尾真禄。 乃木希典の自害前(明治天皇ご大葬の朝)最期の写真を撮影した。 昭和 6 年、寺院仏教から独立した在家教団・本門八品浄風教会(のち在家日蓮宗浄風会)を創立している。妻は秋尾勢以

◆乃木希典の最期
日本の武士(長府藩士)、陸軍軍人、教育者。日露戦争における旅順攻囲戦の指揮や、明治天皇の後を慕って殉死したことで国際的にも著名である。階級は陸軍大将。栄典は贈正二位勲一等功一級伯爵。第10代学習院長に任じられ、迪宮裕仁親王(昭和天皇)の教育係も務めた。「乃木大将」や「乃木将軍」と呼ばれることも多く、「乃木神社」や「乃木坂」に名前を残している。
乃木は、大正元年(1912年)9月10日、裕仁親王、淳宮雍仁親王(後の秩父宮雍仁親王)および光宮宣仁親王(後の高松宮宣仁親王)に対し、山鹿素行の『中朝事実』と三宅観瀾の『中興鑑言』を渡し、熟読するよう述べた。当時11歳の裕仁親王は、乃木の様子がいつもとは異なることに気付き、「院長(学習院)閣下はどこかへ行かれるのですか」と聞いたという。大正元年(1912年)9月13日、明治天皇の大喪の礼が行われた日の午後8時頃、乃木は妻・静子とともに自刃して亡くなった。享年64(満62歳)没。警視庁警察医員として検視にあたった岩田凡平は、遺体の状況などについて詳細な報告書を残しているが、「検案ノ要領」の項目において、乃木と静子が自刃した状況につき、以下のように推測している。

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