鹿内 徹(しかない とおる)

妻は鹿内モヨ
長男にフジサンケイグループ会議議長・鹿内信隆がいる(母は鹿内モヨではなく養子であると記載された資料もある)。
ほかに男3人、女2人の子供がいる。

鹿内家は明治初期に南部県より増毛に渡ってきたヤン衆(ニシン漁などに雇われる人材)であった。

鹿内徹は日露戦争に出征した際に写真班に配属され、撮影技術を身に着ける。
のち、写真技術を生かして留萌町で写真館を開業し、繁盛したという。
北海道夕張郡由仁町に移転してからは歯科医となり、主に妻の鹿内モヨが写真館を営んだ。
写真館に歯科医院を併設、“鹿内歯科医院写真部”という名で、モダンな二階建て家屋を建てたという。

鹿内徹は日高地方の奥地に巡回診療に出かけることが多く、ついでに金やクローム鉱探しに熱中し、そちらのほうが時間を費やしたようである。昭和初期、鹿内徹は神道とユダヤ教を融合させたような「鹿内教」という宗教に熱中した。

生年/出身: 1880 北海道(留萌郡留萌町)

開業年:

開業地、主要拠点: 北海道(留萌郡留萌町、夕張郡由仁町)

師匠:

弟子: 鹿内 モヨ