【古写真関連資料】写真師・鵜飼玉川、島霞谷と、文人画家・椿椿山

文人画家・椿椿山

鵜飼 玉川
書画骨董の収集・鑑定なども行い、谷文晁や渡辺崋山(いずれも椿椿山の師)、文人画家・椿椿山らと交流があった。 

島 霞谷
弘化 4 年、幼い頃から画才に優れており、椿椿山が主宰する画 塾「琢華堂」に入門した。

◆椿 椿山
江戸時代後期の日本の文人画家である。江戸小石川天神に生まれる。主に花鳥画、人物画を得意とした。

名は弼(たすく)。字は篤甫(とくほ)、通称を忠太、亮太。号は椿山の他に、琢華堂(たくげどう)、休庵、四休庵(しきゅうあん)、春松軒、碧蔭山房(へきいんさんぼう)、羅渓、琢華道人(たくかどうじん)。旗本槍組同心・椿嘉左衛門定重が54歳のとき、二男二女の末子として