片岡 如松(かたおか じょしょう)

写真師片岡如松 栃木

片岡家の祖先は片岡勘右衛門貞好といい、会津の大名・蘆名義広の家臣であった。伊達政宗が蘆名と開戦(関柴合戦)を発端にして、天正14年、蘆名氏崩壊に伴い、片岡勘右衛門貞好は、異父兄弟であった天台宗大僧正・慈眼大師(天海)の援助によって、 日光山輪王寺宮に就いた。なお 慈眼大師は蘆名氏の一族とされている。

父は片岡謙蔵。旧名は片岡久米。幼名は片岡富次郎。日光山輪王寺宮の書役。伯父・鈴木松亭で算術などを学ぶ。明治3年(2年とも)、日光山撮影に訪れた 横山松三郎 に同行し、写真術を習う。岩の上で帽子を振る横山松三郎の様子を撮影している。横山松三郎の「松」の字をとり、片岡久米から片岡如松と改める。明治4年、栃木に移って片岡写真館を開店し、栃木初の営業写真師となる。主に建造物を被写体に選び、栃木県庁や栃木駅、栃木警察署などの写真を残した。

生年/出身: 1843 栃木(下野国)

開業年: 1869

開業地、主要拠点: 栃木(栃木町相生橋際日光神橋前)

師匠: 横山 松三郎

弟子: