【古写真関連資料】写真師・上野幸馬の長男、産業能率短期大学創始者・上野陽一

上野幸馬の長男

写真師・上野幸馬の長男。上野彦馬の甥。

◆上野 陽一
日本の経営学者、産業心理学者。産業能率短期大学の創始者。フレデリック・テイラーによる科学的管理法を「能率学」と名付け邦訳し、日本における経営学の端緒を開き「能率の父」と呼ばれる。位階勲等は正四位勲二等。
東京出身。1903年、東京帝国大学(現在の東京大学)文学部哲学科に選科生として入学。心理学を専攻し、1907年に本科生となり1908年に卒業する。

その後、心理学研究から産業能率、科学的管理法の研究者となる。さらにアメリカからマネジメント思想と技術を導入、産業界に紹介し、日本最初のマネジメント・コンサルタントと言われる実績を残した。

横濱専門学校(現・神奈川大学)の法経学部にて産業能率論の講師を務める。

1909年、大槻快尊・倉橋惣三・菅原教造らと共に心理学通俗講話会の設立に参画した。

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1922年に財団法人協調会に設けられた産業能率研究所の所長に就任。1925年に協調会の財政事情により分離独立し、日本産業能率研究所を設立。

1942年に同研究所を母体に日本能率学校を設立。

第二次世界大戦後は人事院人事官として公務員制度の確立に努める一方、1950年に日本能率学校を発展的改組させ、産業能率短期大学を設立した。