【古写真関連資料】薩摩藩・明時館(天文館)

【古写真関連資料】薩摩藩・明時館(天文館)

磯長海洲
磯長家は代々鹿児島天文館に関わった暦学者の家系。祖父(磯永孫四郎周英)は市来四郎の実父・寺師正容の門人であり、磯永孫四郎周英の門人・水間良実は、薩摩藩の天文館「明時館」初代暦正になっている。

田中盛之助
明治26年頃、鹿児島天文館(明時館)にあった写真館で勤務していたという。

◆天文館
鹿児島県鹿児島市にある中心繁華街・歓楽街の総称。一帯は繁華街と歓楽街が隣接し、一大商業、娯楽エリアとなっている。 地元では、特に若年層を中心に天街(てんまち)という愛称で呼ばれている。

江戸時代、第25代薩摩藩主・島津重豪が天体観測や暦の研究施設として明時館(別名「天文館」)を建設したことに由来する

明治期までは天文館一帯は薄の生える空き地も目立つような寂しい場所であったが、大正時代前期に南林寺墓地が移転し、大正時代後期から昭和初期にかけては路面電車が開通したことから、同時に鹿児島座(1918年火災により焼失)をはじめとした多数の映画館や劇場が開館した。それに伴い鹿児島各地から昼夜の別なく多くの人々が押し寄せるようになり、まもなく周辺に映画客目当てとした飲屋や赤線、食堂などが自然発生的に現れた。千日町や山之口町界隈の歓楽街は、その頃に原型が形成された。

その後、山形屋呉服店が大正時代初頭に神戸以西で初の鉄筋コンクリート造の大型デパートを開業すると、その周辺の商店や町屋が次第にショッピングゾーンに変貌し、戦前には現在の街並みがほぼ完成された。

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◆水間 良実
江戸時代後期の薩摩藩士。諱は良実。通称は喜八。暦学者で、磯永周英(磯長海洲の祖父)の門人となり暦学を学び、薩摩藩主島津重豪の命により、明和2年(1765年)に弟子一人とともに江戸幕府の佐々木文次郎による暦改定の手伝いとして江戸に派遣される。

その後、重豪が明時館を創設すると安永8年(1779年)11月28日に家老小松清香から側用人島津登を介して初代御暦者に任命される。これにより、『無役之御近習通』の中の一つにすぎなかった天文方は独立した役職となる。法号は学峰院天心良道居士。墓所は曹洞宗松原山南林寺。