【古写真関連資料】写真師・柴田常吉と、吉澤商店(日本初の映画撮影所)

吉澤商店

1900年(明治33年)、北清事変(義和団の乱)が起きて日本が参戦。撮影技師の柴田常吉および深谷駒吉を派遣している。

◆吉澤商店
かつて東京に存在した日本の貿易会社、映画会社である。日本最古の映画会社の一つであり、「日本初の映画専門館」と「日本初の撮影所」を開いたほか、浅草公園に「ルナパーク」を開設、日活を構成する前身4社のうち1社として映画史にその名を残す。旧社名吉澤商舗(よしざわしょうほ)。吉沢商店の前身、吉澤商舗は、美術品貿易商であった。神田に所在したのち、東京市京橋区南金六町13番地(現在の東京都中央区銀座8丁目)に移転している。同社社主・吉沢某の縁者で、富山県から上京して慶應義塾に学んだ河浦謙一は同社に勤め、時期は不明であるが、同社の経営を継承している。同社は、錦絵や郵便切手などの輸出により利益を得た。

時期は不明であるが、1896年(明治29年)10月以降の時期に、同社は社名を「吉澤商店」と変更する。このころには、新たな事業分野として幻燈機の製造販売を行っていた企業であった。

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関西地区では稲畑勝太郎が持ち込んだ「シネマトグラフ」を別ルートで持ち込んだイタリア人技師ブランチャリーニが、すでに「吉澤商店」と名称変更済みの同社を1897年(明治30年)1月に訪れ、これを同社は横浜市住吉町(現在の同市中区住吉町)の「港座」で関東地区初公開を行ったのが、同年3月9日であった。同社は東京・神田区「錦輝館」でも興行。

同社は以後、「活動巡業隊」を結成。一種3分ほどのフィルムを10~15種持ち歩き、全国での巡回興行を開始。

1900年(明治33年)には、幻燈機同様に安価な国産映写機の製造販売を始めた。同年6月、北清事変(義和団の乱)が起きて日本が参戦、これに同社は撮影技師の柴田常吉および深谷駒吉を派遣、同年10月18日には『北清事変活動大写真』として神田・錦輝館で公開した。翌1901年(明治34年)5月25日には、スチル写真で構成した『北清事変写真帖』を同社が編集発行している。