松浦 栄(まつら さかえ)

松浦 栄写真師

「まつうら」ではなく「まつら」が正しい。
松浦氏は、もともと平戸藩主松浦家の出身であった。祖父は松浦安右衛門といい、屋敷が八丁堀にあり江戸町方組(北)御当番五組に属する旗本与力であったが、薩長の維新勢力に屋敷を取り上げられ向島へ移住した。父は東京府士族・松浦安右衛門。母は松浦ヒデ。父は旗本与力で、徳川慶喜に仕えていたが、明治維新により茶業に転じたという。
なお、慶応4年の南町奉行に松浦越中守信寔がおり、縁者と思われる。松浦越中守信寔は渡米経験もあったという。

明治6年、東京・向島に長男として生まれた。両親を早くに亡くし、同じく与力であった叔父の下で育てられた。東京で大学を卒業し、新聞の仕事をしていたいうが資料が少なく確定できない。明治20年頃、牧師・木村熊二(頌栄学園2代目校長、明治女学校創設者)によって洗礼を受ける。アメリカ帰りの木村熊二から英語や写真術の初歩を学んだという。
明治34年、単身でアメリカに渡る。シアトルのタコマへ商業実習の目的であったというが、シアトルには1~2年程度しか居なかったという。
明治36年、ワシントン州コンコナリー( ワシントン州北中部に位置するオカノガン郡の山奥)のエリオットホテルに、料理人兼ランドリーマンとして雇われている。ここでの給与が写真機材の購入費になっている。

明治44年頃、オカノガンのファーストアベニューに写真館を開業。オカノガンを拠点にアメリカ先住民、草創期の野球や自動車など何千枚の写真を撮影しており、現在その作品が高評価されている。オカノガン郡歴史協会とワシントン州立大学によって、作品(ガラス原板)1800枚が保管されている。
現地では親しまれ「フランク(裏表のない)・マツーラ」と呼ばれていたという。「フランク・S(サカエ)・松浦」と名乗っていた。
大正2年6月16日、結核により死去。葬儀には300人以上のネイティブアメリカンと開拓者が集まったという。生涯、日本に戻ることはなく、墓地もオカノガン にある。松浦の業績が3ページにわたり掲載されている地元紙が「オカノーガン郡歴史博物館」に残っている。

生年/出身: 1873 東京(向島、入舟町4丁目弐番地)

開業年: (明治44年頃)

開業地、主要拠点: 海外(アメリカ、ワシントン州オカノガン)

師匠:

弟子: