山内 豊範(やまうち とよのり)

山内豊範

詳細は不明だが、幕末期の城内、土佐藩を自らが撮影したという写真が残されている。

土佐藩の第16代藩主。三条実美の従弟。幼名は熊五郎、鹿次郎。号は鵬洋。
官位は従四位下、左近衛権少将。 父は第12代藩主山内豊資。
妻は正室・毛利信順(毛利斉熙三男)の娘、継室・上杉斉憲の娘。

十一男として生まれる。
嘉永元年、兄・山内豊熈(第13代藩主)、山内豊惇(第14代藩主)が相次いで死去し、後継者と目されたが、まだ3歳であったため、分家出身の山内豊信(山内容堂)が家督を継承することになる。

安政6年、山内豊信が安政の大獄で隠居処分となったため、家督を継承した。
文久2年、山内豊信の隠居が解かれる、ふたたび実権は山内豊信に握られることとなった。
文久2年、朝廷から京都警護の内勅を受ける。
明治2年、薩摩藩、長州藩などと共に連名で版籍奉還を行なった。
義父・上杉斉憲の米沢藩が戊辰戦争によって官軍の追討を受けると、その赦免にも奔走した。
明治4年、廃藩置県後は鉄道事業や銀行事業などの成立に寄与。
明治17年、侯爵。
明治19年、死去。従二位。
墓所は高知県高知市天神町の真如寺。戒名は崇文院殿天常端誠大居士。長男の山内豊景が跡を継いだ。

生年/出身: 1846 高知(土佐藩)

開業年:

開業地、主要拠点: 高知(土佐藩)

師匠:

弟子: