吉雄 圭斎(よしお けいさい)

別名は吉雄種文。2代目吉雄幸載(1788―1866)の次男として生まれる。なお、曽祖父が吉雄耕牛(オランダ語通詞、蘭方医)。
家業の外科医をつぎ出島のオランダ商館出入り医師となった。オランダ語通訳でもあった。オランダ人と松本良順に写真術を学ぶ。 嘉永元年、オランダの医師オットー・ゴットリープ・モーニッケから種痘法を学んだ。嘉永2年、バタビア(ジャカルタ)から届いた牛痘苗の発痘に成功し楢林宗建(佐賀藩医、蘭方医)とともに普及に努めた。その後、養生所や精得館でポンペ、ボードインについて西洋医学を学ぶ。万延元年、内田九一は叔父の長崎萬屋町の医師・吉雄圭斎に引き取られている。当時は種痘法を信じる人が無く、仕方なく自分の親戚二人(当時 4 歳の内田九一と妹の内田菊)に試みて 成功した。2 人は両親が早く亡くなり、九一は松本良順に、菊は吉雄圭斎の下に育てられた。妹の菊は後に長崎大黒町の品川家の品川徳太に嫁いでいる。 元治元年、大阪に滞在した際、吉川治兵衛が学んでいる。明治3年、熊本病院初代院長。明治4年、院長を辞職し長崎で医業を開業。明治10年、西南戦争で長崎軍団病院に勤め、陸軍一等軍医。明治27年、死去。

生年/出身: 1822 長崎(樺島町)

開業年:

開業地、主要拠点: 長崎

師匠:

弟子: 内田 九一 吉川 治兵衛