木津 信吉(きづ しんきち)

別名は和田新吉。1793年(寛政5年)に創建された東京水道橋の松平頼寿伯爵邸内の金毘羅神社神職を代々務めていた和田家の三男。写真師・木津幸吉の養子となり、跡を継いでいる。明治18年頃、北海道の武林盛一が東京麹町区一番町十一番地に写真館を開業し、そこで学んでいた。その際、木津為政という人物も同館にいたが、関係性は不詳。後に 気賀秋畝の御茶ノ水の写真師「玉翠館」の写真技師となっている。
金比羅神社は現在の金刀比羅宮東京分社で、1819年(文政2年)には中山道下板橋宿上宿の名主板橋市左衛門の所有地内に金毘羅大権現が邸内祠として祀られたてい。1880年(明治13年)、無格社・金刀比羅神社として公認され、1888年(明治21年)に神田和泉町に遷座し、金刀比羅宮直轄の境外末社に加えられた。その後1890年(明治23年)に深川古石場町に遷座。1956年(昭和31年)、元高松藩主松平家当主の松平頼明から、讃岐高松藩上屋敷の邸内社として1793年(寛政5年)に創建された水道橋金刀比羅神社の境内地(下屋敷跡)を再建用地として寄進を受けたことで二社を合わせて祀ることとなり、1964年(昭和39年)に遷座再興している。

生年/出身: 東京(水道橋)

開業年:

開業地、主要拠点: 東京

師匠: 気賀 秋畝 武林 盛一 木津 幸吉

弟子: